2021年6月24日 ONAIR
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今週は、歴史探訪ドライブ!
歴史スキの方にも特に人気の高い「幕末」の北越戊辰戦争!
北陸道・中之島見附ICから約10分「長岡市北越戊辰戦争伝承館」です!
本日は館長さんじきじきのご案内です。
「ここは、地元の新組地域の住民の視点で戊辰戦争を見た伝承館になります。」
戊辰戦争の主役は、どうしてもお侍さんになっちゃいますけど、地域住民が主役とは珍しい!
1Fは、ここ新組地域がどのように開発されてきたか、また地元出身の偉人の紹介。
桜で有名な「福島江」の開削によって、地域が救われたこと。
偉人で言えば、その福島江の開発をした桑原久右衛門、良寛さんの貞心尼、医学者・教育者の長谷川泰など、名士と呼ばれる方々の展示もございます。
んで2Fがいよいよ北越戊辰戦争関係の資料になるわけですが、ここでこの新組地域がなぜ戦場になったかを確認しておきましょう。
長岡における最大の戦闘は、長岡城をめぐる攻防戦!
一旦は新政府軍に長岡城を明け渡すことになった旧幕府軍は、奇襲(?)を用いて、再び長岡城を奪還するのですが、その時の作戦にこの地域が大きくかかわっているのです!
新政府軍が長岡城を占領し、加茂方面で再起を期す旧幕府軍。
長岡城の周りは当然ながら新政府軍の守備隊が布陣しています。
体勢を立て直したとはいえ、少数による正面突破は厳しい状況。
そこで目をつけられたのが、ここ新組地域!
当時この辺りには「八町潟」という湖(?)があって、周辺は守備が手薄な状態。
新政府軍としても、
「まさかこんなトコから大群は攻めてこないだろう・・・。」
ってことなんでしょう。
数百人からなる軍勢が、湖を渡ってくるなんてふつうは考えないもんね。
しかしそこをやるのが河井継之助なのですよ!!
夜陰に乗じて、朝方には長岡城に接近!
見事長岡城の奪還に成功するのです!
ただし、この八町潟の横断、当然普通には行軍できません。
「とても人間の背がたつ深さではなかっと思いますね~。」
の館長のお言葉。
ならどうしたか?
この地域のお家の「戸板」や「畳」が徴用され、それを利用して渡ったと。
っつ~ことは、当然作戦決行のかなり前段階から地域住民が関わっていたことになります。
物資・食料の徴収から賦役もね。
自分に利益が無いのに、当時の農家の方々も散々ですよね!
んでその後の長岡城、またまた新政府軍に奪われることになってしまいます。
短期間のうちに支配者が何回も変わるってどんななんだろ?
支配者が変わるたびに、この辺の住民にも命令が下るわけだ。
米を出せ!賦役をやれ!家を明け渡せ!あげく、家を焼かれたり!
こりゃたまらん!ってなりますよね!
「それで、この書状です。」
館長さんが見せてくれたのが、一通の書状。
この辺の名主さん(?)が、新政府の役人にあてて書いた書状です。
物凄いへりくだりながら、地域の惨状を訴えた内容。
このままじゃ村が滅びてしまうんで、なんとかお願いしますと!
この書状は心を打ちますよ。
歴史の表舞台には出てこないけど、農民も大変だったんすね。
これ以上内容を語ってしまうと、みなさんが行った時の感動が薄れてしまうと悪いのでこれくらいにしときますけど、その他にも見どころ沢山ございます!
長岡城周辺の3Dジオラマは、両軍の進軍経路が丸分かりで面白いですよ!
来年公開の「峠」を見る前に是非!
北越戊辰戦争伝承館
https://www.museum.city.nagaoka.niigata.jp/facilities/boshin/
ドライブポイント:北越戊辰戦争伝承館
住所:長岡市大黒町39番地2